下北沢MOSAiC店長 森本真一郎コラム第14弾『明日のために今日を生きるのではない 今日を生きてこそ明日が来るのだ』

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こんにちは。
下北沢MOSAiCの森本です。

いやーすっかりコラム書くのが遅くなってしまいました!
前回書いたのが夏だったので、随分久しぶりな感じです。。
サボってすいません。
真面目に生きて行きます!!

さて今回のコラムは、旅の話の続きを書きたいと思います。
なんのこっちゃ?と思う方は、三つくらい前のコラムをぜひ読んでみてくださいね!

所持金2万円弱くらいになったところで、私はこのまま旅を終わりにして大阪へ引き返すか、それともこのまま思い切って沖縄に渡るかで散々悩んだのでした。

そして出した答えは、

”沖縄でもどこでも行ったらんかい!”

ということでした。
意を決して沖縄行きフェリーの切符を購入。

所持金は残りわずか3千円。
ドキドキしました。

桜島からのフェリーは確か夕方くらいに出発するやつで、那覇の新港に到着するのが翌昼過ぎくらいだったと思います。
フェリーに乗り込み、雑魚寝出来るスペースで私はさっさと酔っ払って、今夜は早く寝てしまおうと思ったのでした。

そう言えば、私はフェリーの中にある自販機で、その日初めてオリオンビールを見たのでした。

”おお、これが沖縄で有名なオリオンビールか!”

そのまま少ない所持金でオリオンビールを3本ほど買い、雑魚寝スペースでグビグビと飲んだのでした。

”オリオンビールって味薄いなー”

というのが当時の感想。
しかしいくら飲んでもなかなか酔えない。

男には、

”いくら飲んでもまったく酔えない夜”

というのがある。(いや女でもあるのかな?)

なかなか眠れそうにない。
いろんなことを考えてしまう。。
つまり男はロマンチスト。

ぬるい小瓶のウイスキーを飲んでも目がギラギラする。

”困ったなー”

と思いながら横になり、目を閉じているとだんだん目と頭がグラングラン回り始めてきた。

”うわ!なんか急に気持ちワル!!”

そう。
私は自分にではなく、酒と船の揺れにかなり酔っ払ってしまったのでした。

いつもならこれくらいの量じゃ気持ち悪くならないのに、なんでかなーと思いながら、私はフェリー『あけぼの』のトイレでフラフラする身体を支えながら、ゲロゲロと吐いたのでした。

雑魚寝スペースで目を覚めすと、もう夜はとっくに明けていたようで、外に出ると灰色の空と灰色の海のど真ん中をフェリーはゆっくり進んでいたのでした。

”沖縄って意外と遠いんやなー”

と思いながら、ぼんやり海の向こうを見つめていると、背後から一人のオジサンに声をかけられたのでした。

『天気わるいねー!』

良く通る図太い男の声がする。

振り返るとそこには、中村雅俊と渡辺徹を足して2で割って、2.3発殴ったようなガタイのいいオジサンが立っていたのでした。

「そうですね、南の島に向かってる感じじゃないですよねー、、」

私はそう言いながら、昨日の夜から引きづっていた心細さが急に解けるのを実感したのでした。

人は寂しいとき、誰かに声をかけられると嬉しいものです。
だから私はこのオジサンから声をかけて貰えたことが、素直に嬉しかったのでした。

『沖縄はなに?旅行?』

雅俊さんは言うのでした。

「いや実は僕、旅をしていまして、、でも金が底をつきそうなんですよ。。あ、そうや、沖縄で住み込みとかで働きたいんですよね!大丈夫ですかね?!そういうのって?!」

”もういざとなったら、このオヤジに助けてもらうしかない!”
”甘えてしまえばいい!”

私はそんなイヤらしい気持ちになっていたのでした。

『仕事かー、あるんじゃないのー?選ばなければ(笑)』

雅俊さんはのんきな声で言うのでした。

ところでこのオジサン、いったい何者なんやろ。
平日やのに仕事は?
なんで飛行機じゃなくて、わざわざフェリーに乗るんやろ。。
見た感じはちゃんとしてそうやし、高そうなジャケット着てるし、貫禄もあるし髪も綺麗に七三分けされてる。
仕事か何かかなー?

「オジサンはお仕事か何かで沖縄行くんですか?」

『ん?俺?まあそんなとこだよ。』

「沖縄のどこへ行くんですか?ホテルとかに泊まるんですか?」

『なーんにも決めてない(笑)。まあ何とかなるでしょ!細かいことは聞きっこなしだよ(笑)。』

雅俊さんは笑いながらそう言うのでした。

名前を聞いても、

『ん?じゃあ渡辺でいいや(笑)。』”

と適当にスルリと交わされたので、

”ああそうか、この人はワケありか。いろんな人がおるなー。まあなんでもええわ。”

と私も納得したのでした。

私は雅俊さんとそのままフェリーの甲板で雑談しながら、だいぶ気持ちに余裕が出来てきたのでした。

間もなく那覇の新港に到着という頃に、荷物をまとめながら私はもう一度雅俊さんのもとへ行き、

”一緒に行きましょうよ”

と声をかけてみたのでした。

『いいよ。じゃあ行くか!』

新港に降り立ち、私はついに沖縄上陸を果たしたのでした。
フェリーターミナルで”さてどうしたものか”とキョロキョロしていると、

『おーい!こんなのがあるよ!!』

と雅俊さんが、遠くから私を呼ぶのでした。

フェリーターミナルに備え付けてあるチラシ置き場で、雅俊さんはニコニコしながら手を振るのでした。

『これ見てごらん』

雅俊さんから手渡されたチラシを見てみると、そこにはなんと、

”住み込みヘルパー募集!! 日給2千円 民宿J”

と書いてあったのでした。

「おおーー!!これや!!!」

私は大慌てで公衆電話を探し、猛烈な鼻息とともに民宿Jへ電話したのでした。

電話口に出たのはおかみさんで、とても優しい声。

「実はこれこれこうで、とにかく何でもやりますから住み込みで働かせてください!!お願いします!!」

私はもうどうなってもいいから、とにかくこのチャンスを逃すまい!と声もかなり大きくなっていたのでした。

『え、、ちょ、、お泊りのご予約では無いんですね、、そうですか、、いまシーズンではないので、、あいにくヘルパーさんは、、』

「そこをなんとか!!お願します!!なんでもします!!」

私はおかみさんの言葉を最後まで聞かず、とにかく”お願します!”を連発したのでした。

やがておかみさんもその勢いに懲りたのか、

『分かりました。主人には私からお話ししておきますので、一度こちらに来て頂けますか?お迎えは私が車で参りますので。』

「分かりました!!」

”よっしゃーー!!” 

と私は声をあげ、雅俊さんに喜びの報告をしたのでした。

『でもまだ仕事が決まったわけじゃないんでしょ?』

雅俊さんは言うのでした。

”いや、もうこれは決まったも同然や。”
”あとは土下座でもなんでもして、住み込みで働かしてもらう!”
”なんでもやる!”
”主人がゲイで、ケツ出せって言われたら出してもいい!”
”チ○コ舐めろと言われたら舐める!”

私はそのくらいの覚悟で、民宿Jの送迎を待ったのでした。

後日おかみさんが笑い話で、この時のことを話してくれました。

『もう何事か!っていうくらい、凄い勢いだったね(笑) 断りきれなかったわよー(笑)』

との事でした。
恥ずかし!!

そんなわけで、なんだかんだありながらも私はひとまず沖縄での居場所を確保したのでした。

お世話になった民宿は、那覇の中心部から少し離れたところにあって、一軒家を改造した5階建てくらいの建物でした。
いわゆる”ドミトリー”とかいうやつで、いくつかの2段ベッドがあり、トイレやフロは共同、部屋は男女混合で素泊まり1500円(当時)でした。

ヘルパーって何すんの?って感じですが、つまりはお客さんの布団を洗ったり、車で送迎したり、空港や港で客引きをやったり、予約を受けたり見送ったり、というのが主な仕事。

”そうか、これで住み込み飯付きで2千円貰えるのか”

夜は宿泊客を1Fの居間に集めて、”ああでもないこうでもない”と雑談しながら泡盛を振る舞う。
民宿の主人であるオヤジさんが元板前さんらしく、泡盛を飲みながらつまむ肴を作ってくれる。

飯も食えるし酒も飲めるとなると、自分で使うお金はタバコ代とビール代くらい。
日給2千円でも十分貯金が出来たのでした。

毎日全国各地から、沖縄には沢山の観光客がくる。
素泊まり1500円(当時)の民宿は那覇にも沢山あったようで、そういう所には自分と歳の近い若者たちが沢山くる。

そんな連中たちと毎日いろんな話をしながら、酒を飲み、ギターで合唱し、ときにはレンタカーで一緒に観光をし、民謡スナックへ行き、酔っ払うとみんなでカチャーシーというのを踊り、まあとにかく刺激的な日々がどんどん続いていったのでした。

あ、そういえばフェリーで出会った雅俊さんは、あの後私と一緒に民宿まで来てくれて、彼はそこで2~3日泊まってから、パッタリと姿を見せなくなったのでした。

いま私の手元にはその頃の写真が沢山ある。
もちろん雅俊さんの写真もある。

いまはどこでどうしているのかなあ。。

さて次回のコラムは、

”民宿Jの主人と大ゲンカ!!ついにクビになる!!諦めず中華料理屋での住み込み生活開始!!涙のドタバタ編!!”

を書きます。
お見逃しなく!!

つづく。。。


▶プロフィール
morimoto

森本真一郎

下北沢MOSAiC 店長 / Label Shiro 代表
1978年生まれ 兵庫県出身
中学卒業後さまざまなバンド活動を経て、2001年に全国を放浪。
上京後に加入したバンドが解散後、弾き語りでのソロ活動を開始。
2006年下北沢LOFTレーベル『おかげレコード』よりファーストアルバムリリース。
スタジオミュージアムにてマネージャーとして勤務後、下北沢MOSAiCの店長として就任。
現在に至る。
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