下北沢MOSAiC店長 森本真一郎コラム第11弾『男はみんなロマンティストである。だから美しい。』

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こんにちは。
下北沢MOSAiCの森本です!

梅雨ですよ梅雨!
いや、もう明けたのかな?
私は髪の毛が天然クルクルパーマなので、湿気が多いと後ろ髪が魔法使いサリーちゃんみたいになります。
困ったものです。

さて、今回のコラムでは久しぶりに旅のお話を書きたいと思います。
”なんのこっちゃ?”と思う方は、前々回のコラムを読んでおいてくださいね!

旅に出てから、早くも2か月が過ぎようとしておりました。
2か月ですよ。早い!
気が付けば、私はついに九州は鹿児島までたどり着き、そこで人生の岐路に立たされていたのです。

愛媛の一件があり、私はどうも気分の晴れない日々を過ごしておりました。

”なーんか旅ってつまんない”
”やっぱり大阪へ帰ろうかな”
”孤独ってイヤだな”
”寂しいな”

となっていたのでした。

おまけに香川の高松では、まったく何もせず無駄に三日間ダラダラと過ごしてしまったのです。
それも同じ駅で三日間。

心にぽっかり穴が空いたような感覚から抜け出せず、高松にある『高松築港駅』のベンチで寝泊まりを繰り返し、一日中缶ビールを飲みながらぼんやりするというだけの日々。
しいて言うなれば、高松築港駅は地元のホームレスさんたちの寝床だったので、いろんなオジサンたちから雑誌や新聞をもらい、ただそれをひたすら読んでいたという。

何にもやる気が起きないのでした。

その駅ではいつも夜の10時くらいになると、どこからともなく怪しげなオジサンたちが疲れた顔で”ぬるー”っと帰ってくる。
みんなだいたい無言で、そのままダンボールなどにくるまり眠りにつく。
一人のオジサンが私に近づいてきて、その日の新聞や雑誌を渡してくれる。
私が読み終えると、別のオジサンの枕元にそっと置いておく。
そして翌朝になると、また誰かがその日の朝刊や雑誌を私のリュックの上に置いといてくれる…。

そんな感じの、”新聞雑誌回し読み”の日々。

”このままではいけない”
”このままだと堕落してしまう”
”この人たちはみんなちゃんと働いているというのに、俺って奴はいったい!”

急にいろんなことが怖くなったのでした。

”そうや、遠くへ行こう!”
”もっともっと遠くへ行こう!”

ようやく四国を抜け出す決意をしたのでした。

香川と徳島を経由して瀬戸大橋を渡り、岡山→広島→山口を過ぎ、ついに九州地方へ入りました。
そして気がつけば九州の南、鹿児島までたどり着いたわけです。

道中いろんなことがありました。

岡山の妹尾駅では、私が寝袋にくるまり寝ようとしていると、地元の小僧たちにエアガンで蜂の巣にされたり。
広島では ”たまにはええやろ” ということで、安い民宿を探してそこに泊まり、夜通しエロビデオを見まくって下半身が痛くなったり。
福岡の博多では、地元のめんたい美人をナンパして「ヤダーきもい!」と言われたり。

まあいろいろありました。

旅をしていて一番困ったことと言えば、やはり性欲の処理でした。

私は性欲がそんなに強くもなく、セックスも弱いのです。(いや、マジで)
しかしさすがにお年頃ですから、毎朝の下半身の遮断器の上がり具合がもうハンパなかったわけです。

そうしてよくお世話になったのが、駅や公園にある公衆便所でした。

朝、目が覚めてトイレに行って顔を洗う。
歯を磨く。
ウンコがしたくなる。
快便。
ついでに遮断器も何とかしたい。
イマジネーションとメモリーを駆使して、毒素発射。
爽快。

朝の日課でした。

もしかしたら日本全国、これほどまでに公衆便所で毒素を出した男は私しか居ないかもなのです。
いっぱい種を蒔いてきました。

さて、なぜ私がそそくさと鹿児島までたどり着いたかと言うと、それは寒さとの戦いに耐え切れなくなったからなのでした。
だいたい2月の下旬なんて、日本中どこでも寒い。

”そうや!もういっそのこと沖縄行こ!”

となったのでした。
鹿児島からフェリーに乗れば、沖縄なんか2~3時間ですぐ着くやろう、と思っていたのです。

しかししかし!
なんと鹿児島から沖縄までのフェリーは、船内で一泊して約24時間ほどかかるということなのでした。

”そんなに遠いの!?”

おまけにフェリーの料金が、1万5千円くらいもするのでした。

”めっちゃ高いやんけ!”

距離的には鹿児島から沖縄、東京から沖縄、あまり変わらないみたい!

私は悩みました。
その時点で私の所持金は2万円弱くらいしか無かったのです。

”ついにこの時が来たか”
”このまま沖縄に行って、本当に仕事とか見つけて、ちゃんと働けるのかなあ”
”いまなら大阪に引き返せるけど、どうする俺!”

悩みました。

旅を始めた時、所持金は7万円。
いざとなったら日本全国いろんなところで働いて、その金で旅を続けるんや!
と意気込んでいましたが、現実を目の前にするとめっちゃ不安やし怖い。そんなに世の中甘くない。

その当時の私はまだウブな青年だったので、沖縄に行ってからアコムとか武富士とかレイクとかプロミスとかアイフルとかで金借りたらええやん!
という発想も無かったのでした。

沖縄行きのフェリーは翌日昼過ぎには出発する。
まだ時間はたっぷりあるので、私は切符を買う前にしばらく冷静に考えてみることにしました。

フェリーターミナルの近くにあるベンチに腰掛けると、目の前に巨大な桜島がある。

桜島はデーンと逞しいのでした。

”俺ってなんかちっぽけやな”
”だからこそ、もっと冒険しないとな”

少し勇気が湧いてきたのでした。

”金はまだ二万円弱あるし、大阪に帰るとしたら今のタイミンングやな”
”でもせっかくここまで来たのに、そんな簡単に引き返すの?”
”ほんまに都合よくバイトとか見つかるんかなあ。。”
”いや人生一回や。死ぬわけちゃうし何とでもなるやろ!”

私は決意したのでした。

”沖縄行ったらんかい!!”

いつも以上に鼻息を荒くして窓口に向かい、ついに沖縄行きの切符を購入したのでした。

”うぉー買ってもうた!!”
”もう後に引かれへんで!!”
”所持金3千円!!”
”やばいやばい!!”

いま思うと、フツー所持金3千円で沖縄行くか!?って話ですが、私は大真面目だったのでした。

しかし何なのでしょうか。。
さっきからこのドキドキするようなワクワクするような、不安と緊張が入り混じった妙な快感。
追いつめられて、不安になって、だけどなんか興奮している自分。

余談ですが30歳を過ぎたころから、ベッドの上で責められる快感を覚えた私。
もしかしたらこの時からすでに、私のМっ気は開花していたのかも知れません。(関係ないか)

”沖縄でもどこでも行ったらんかい!”

ずっと鼻息が止まらないのでした。

沖縄行きのフェリーは翌日の昼過ぎくらいに出発予定だったので、その夜は缶ビールを一本だけにしてさっさと寝ることにしました。

桜島のフェリーターミナルは24時間開放みたいな感じだったので、今夜の寝床はそこに決定。
持参していた携帯ラジオを聴きながら、缶ビールを飲む。

桜島フェリーターミナルには、日雇い労働者と思われるオジサンたちがわんさかいる。
高松築港駅と同じように、ダンボールにくるまりながら新聞や雑誌を読みふける人たちばかり。

だけどあの日の高松とは、私の気持ちもまったく違っていたのでした。

”よっしゃ気合い入れて行くぞ!”

私は期待と不安と緊張と興奮のおかげで、その日はまったく眠れそうに無かったのでした。

翌日の鹿児島はどんよりした曇り空。
灰色の港に、沖縄行きのフェリー『あけぼの』が泊まっている。

”行ったらんかい、行ったらんかい”
“今日から本気の旅が始まるで”
”でもこの先俺はどうなるんやろうか”
”まずは土下座でも何でもして、日払いの仕事を探さないとな”

ずーっと心の中がモヤモヤしてる。
しかしそれを振り切るようして、私はドカドカとわざと大股で歩き、またしても鼻息を荒くしてそのままフェリーに乗り込んだのでした。

…あれから15年

私は思うのでした。

”あの時沖縄行きの切符を買って、本当に良かったな” と。

なぜそう思うかって?
それはまた後日、コラムに書きます。

いま振り返ってみると、私はこの日今後の自分の人生を左右する、とてつもなく大事な扉を開けたみたいです。
今日の自分があるのは、もしかしたらこの鹿児島の港から始まってるんじゃないかなーって思ってます。(ちょっと大げさですが!)

-どうして旅に出なかったんだ、坊や
-あんなに行きたがっていたじゃないか
-どうして旅に出なかったんだ、坊や
-行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい

(友部正人『どうして旅に出なかったんだ』より)

さて次回の旅のコラムでは、鹿児島から沖縄に渡り、沢山の人に出会って”ドタバタイチャイチャクネクネプリプリ”した日々の一部を書きたいと思います。
ぜひ読んでくださいねー!

つづく…。


▶プロフィール
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森本真一郎

下北沢MOSAiC 店長 / Label Shiro 代表
1978年生まれ 兵庫県出身
中学卒業後さまざまなバンド活動を経て、2001年に全国を放浪。
上京後に加入したバンドが解散後、弾き語りでのソロ活動を開始。
2006年下北沢LOFTレーベル『おかげレコード』よりファーストアルバムリリース。
スタジオミュージアムにてマネージャーとして勤務後、下北沢MOSAiCの店長として就任。
現在に至る。
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