• 2015年4月30日

札幌を拠点に活動してきたバンド、ame full orchestra。結成3年目の春を、彼らはいつもより少し早く迎えた。活動拠点を移すべく、寒さの残る札幌から東京へとやってきたのだ。
バンドが生まれ育った街、札幌への想い。そして、新天地東京で追いかける夢。メンバー全員に語ってもらった。

撮影:外山慎一郎/取材:船底春希


パズルのピースがはまるように揃った5人

――結成前、飯濱さんと中村さんがmondaysick、池守さんと佐藤成幸さんがcigar terrace、佐藤兼太郎さんがowl_と、それぞれ違うバンドで活動されてたんですよね。ame full orchestraはどういった経緯で結成されたんですか?

飯濱壮士(Gt):もともと全員面識はありました。mondaysickの解散が決まった時期にライブハウスで池守くんに会ったので、その話をしたんです。

池守隼輔(Vo):その頃、僕のバンドもベースが脱退してギターも辞めるか迷っていて、このまま続けられるかわからない状態でした。

飯濱:その日ちょうどけんちゃん(佐藤兼)もお客さんとして来てたんだよね。最近どうしてるの?って聞いたら、長いことギター弾いてなくて、もう就職しようと思ってるんです、って(笑)。それを聞いてパズルのピースがはまったような気持ちになりましたね。

中村之則(Ba):その話を最初に聞かされたのが僕で、実現できたら面白そうだけど、本当にできるのかなって思いました。

池守:後日、飯濱さんから電話がかかってきたんです。夕方の6時頃だったので飲みの誘いかと思ったら「池守くんバンドやる?」って聞かれて(笑)。「あぁ、わかりました」ってすぐに返事してから、シゲ(佐藤成)にも電話で話しました。シゲもやるでしょ?って。

佐藤成幸(Dr):最初に池守さんから聞いたときは嘘だと思いました。そのメンツに本当にぼくも入ってるんですか?っていう気持ちでした。

池守:最初に5人で集まろうってなったときも「飯濱さん、本当にドラムはぼくだって言ってました?」って、ずーっと言ってたもんね。

成幸:歳も離れてて、4人に比べたら音楽をやってきた期間も短いので。

――みなさん結成に関して迷いはなかったんですね。

佐藤兼太郎(Gt):いや、僕は正直少し迷いましたね。

飯濱:うん。メールで誘ったとき「池守くんはなんて言ってます?」って聞いてきたのを覚えてる。

兼太郎:池守くんがそんなにすぐOKするとは思わなかったんです。池守くんと飯濱さんとぼくの3人は前のバンドでそれぞれリーダーだったから。それぞれカラーが強いので、うまくいかないと思っていました。

夢を叶えるため、大好きな札幌を離れて東京に来た

――結成初期は、毎月のようにsoundcloudに音源をアップしていましたよね。これは意識してやっていたことなんですか?

飯濱:これから新しいバンドをやるなら、ショートカットしていこうっていう思いがあったんです。シゲはまだ若いけど、ほかの4人はそれぞれ前のバンドでの経験があるから。最初のミーティングのとき、毎月新曲を公開するのをルールにしていこうって話をしました。

――ショートカットと言えば、結成から4か月ほどで東京でもライブをしてるんですよね。これもかなり早いのでは?

飯濱:それも最初に話をしました。とりあえず夏には東京でライブしようって。

――みなさんは全員生まれも育ちも北海道。東京という街にはどんなイメージがありましたか?

池守:最初は怖かったです。ぼくが育ったのは本当にド田舎だったので。住所を書かなくても名前だけで手紙が届くし、タクシー呼ぶのにも名前だけ言えばわかるぐらい(笑)。東京なんてどうやって歩けばいいんだろうって思いました。

成幸:確かに人が多くて大変だなとは思いますけど、やっぱり、発信地っていうイメージは強かったです。

中村:何事においても、札幌とは違うよね。

池守:ライブひとつやるのにも、札幌と東京だと違いがたくさんあるんです。もうここに来るしかないっていう気持ちになっていきました。僕たちには夢があるから。それは札幌にいても叶えられることかもしれないけど、一歩でも早く近づきたいから。行きたいっていう気持ちよりも、行かなきゃっていう気持ちの方が強かったです。

――そんな東京への思いと同時に、ライブのMCやTwitterでの発言などから、皆さんが札幌という街を大事にしていることがすごく伝わってきます。曲を聴いても、北海道の空気感というか、札幌の街で生まれた歌だなぁと感じるし、詞に直接的に表れている部分もありますし。

飯濱:ぼくは出身が旭川なんですけど、バンドを始めたのは札幌に出てきてからなんです。たくさんの人との出会いもあって、やっぱりすごく思い入れのある土地ですね。空気も好きだし、自然と都会の調和がとれているところや、四季がはっきりしているところも好き。本当に大好きな街です。

成幸:音楽を始めて、ライブをやるごとにどんどん仲間が増えていって。この間みんなで集まったとき、ここで育ってきたんだなぁと改めて感じましたね。

池守:最初はあんまり考えたことがなかったんですけど、ほかの土地にライブしに行くと「北海道っぽいよね」って言われることがあるんです。そう言われて考えてみたら、たしかに、札幌で過ごした時間がなかったら飯濱さんはこの詞を書いていたかな、このメロディーを書いていたかな、って思う部分はありますね。僕自身も、ずっと東京で暮らしていたらこういう歌い方はできなかったかもしれないと思ったり。本州でのライブが増えて札幌でのライブが減っていくにつれて、その気持ちは強くなっていきました。東京に出てきたからといって忘れてしまっては意味がないので、バンドのカラーとして、これからも大事にしていきたいです。

――飯濱さんがすべての楽曲の作詞作曲をしているんですよね。北海道の空気感というのは、楽曲を作るうえで意識していることなんですか?

飯濱:他の芸術とも通じることかもしれないけど、理屈で説明できない部分があるんですよ。どうしてこの音遣いだと北国の雰囲気が出るのかと聞かれても、わからないんです。自分にとってはそれが自然に出てきちゃうものだから。その理由が、そこに住んでるからっていうだけなら、拠点を東京に移すことで失われてしまうかもしれない。でも、池守くんが言ったように、離れても忘れないで大事にしようっていう気持ちがあるから、きっと大丈夫だと思います。

――年に一度の自主企画「POST-ZONE」も、札幌で続けると公言していましたね。

飯濱:はい。自主企画は永遠に札幌でやるつもりです。どんなにバンドが大きくなっても、地元に戻ってやりたいです。

――企画は年に一度。CDも今までに一枚しか出していない(2013年12月に2日間限定で販売。現在は廃盤)ですよね。提示する分量が少ない分、出すときには本当にこだわり抜いている印象があります。こだわりが強いからこそ、簡単には出せないんじゃないかなと。

飯濱:それはもうその通りですね。「CD出さないんですか?」って至るところで聞かれるし、実際、出そうとすれば出せるんですよ。曲はたくさん作ってるから。でも、出すからには、欲しい人みんなの手にちゃんと届く形で出したい。そのためにはバンドがそれなりの実力を備えないといけないんです。ぼくたちはCDを聴いて育ってきたから、CDへの思い入れは特に強いんだと思います。